今年2020年はオリンピックイヤー。
オリンピックイヤーといえば閏(うるう)年ですよね。
ところで、うるう年は4年に1回だと思っていませんか?
基本的には4年に1回なのですが、実は例外があります。
今日はそんなうるう年にまつわる話です。
暦にはいくつかの種類がある
暦は古代エジプトで、ナイル川が氾濫する時期に一定の周期性があることに気づいたことが始まりといわれています。
その後、何を基準として1年を定めるのか、さまざまな暦の法則が作られました。
暦には大きく分けて太陽暦、太陰太陽暦、太陰暦の3つがあります。
それぞれ、太陽暦は「太陽」を、太陰太陽暦は「太陽と月の併用」、太陰暦は「月」を基準に暦が作られています。
このうち太陽暦は、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基に作られていて、1年の日数が1太陽年になるように作られています。
さらに太陽暦にはユリウス暦やグレゴリオ暦があり、現在、世界で広く採用されているのはこの「グレゴリオ暦」です。
うるう年(閏年)とは?
4年に一度やってくる「うるう年(閏年)」とは、このグレゴリオ暦の考え方です。
うるう年の「閏(うるう)」とは、「差し入れる」といった意味があるそうです。
また、うるう年のことを閏年(じゅんねん)といい、そうでない年のことを「平年(へいねん)」といいます。
グレゴリオ暦では、1年は365日で計算しますが、地球が太陽を1周するのには約365.24日かかるとされていて、4年目で1日分のズレを調整するために1日追加して調整します。
1日を追加して調整される年が「うるう年」です。
また、追加される日(2月29日)のことを「うるう日」といいます。
うるう年の計算方法って?
グレゴリオ暦ではうるう年を400年間で97回と定めています。
そこで、うるう年の計算方法はこのようになっています。
西暦が4で割り切れる年をうるう年とする。
これが原則です。しかし、このままでは400年で100回になってしまうので、以下の例外があります。
例外①
西暦が100で割り切れる年は「うるう年としない」。
例外②
西暦が400で割り切れる年は「うるう年とする」。
西暦が100で割り切れる年はうるう年ではなく「平年」となるので、例えば「1900年」はうるう年ではありません。だから「必ず4年に一度」とは言えないのです。
では、最近だと2000年も100で割り切れるので「平年」だったのか・・・というとそうではありません。
1900年と同じように2000年も100で割り切れますが、2000年は、例外②(西暦が400で割り切れる年は「うるう年とする」)が該当します。
なので、100で割り切れても2000年は「うるう年」でした。
次の、例外①があてはまる西暦は2100年ということになります。
日本ではいつから?
太陽暦については、江戸時代に、海外の暦として少しずつ紹介されていましたが、その頃の日本では太陰太陽暦が使われていました。
日本で正式に太陽暦を採用したのは明治時代からです。
明治政府は、明治5年(1872年)12月3日に太陽暦採用に踏み切り、採用した日を明治6年1月1日としました。なので、明治5年は12月が2日しかないまま1月になりました。
ところが、明治5年(1872年)に公布された太陽暦への改暦の詔書の内容が不十分で、そのままでは明治33年(1900年)の2月は1日多くなってしまいます。
さきほども書いたように、グレゴリオ暦では例外①により、1900年は100で割り切れるのでうるう年ではありません。
これを訂正するために1900年がやってくる2年前、明治31年(1898年)5月10日に公布されたのが勅令第90号です。
この勅令で「うるう年」をどのように定めるかを付け足しました。
したがって、日本では太陽暦を明治5年から採用していますが、現在のうるう年について法的に決まったのは明治31年(1989年)ということになります。
うるう年はなぜ2月に1日増やすのか?
現在では一年は1月から始まり12月で終わりますが、ローマ時代では紀元前153年まで、3月から始まり2月で終わっていました。
うるう年は最後の月で調整することになっていたため、2月に1日が追加されるようになりました。
まとめ
今日は、うるう年は4年に1度とは限らない、うるう年の例外やなぜ2月に1日増えるのかについて書きました。
まとめるとこんな感じです。
- うるう年には100で割り切れる年はうるう年にならず「平年」となる、という例外がある。(ただし、400で割れればうるう年になるという例外もある。)
- 日本が現在の太陽暦を採用したのは明治5年から
- 2月に追加されるのは、昔は暦が3月スタートだったから。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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