「シンデレラ」のほかにも、美しい一般女性が身分の高い男性と結ばれるストーリーの映画も数多くあります。
ところで、玉の輿に記念日があることはご存知でしたか?
それが1月20日の「玉の輿の日」です。
この記念日のきっかけは、ある人の結婚でした。
今日はそんな「玉の輿の日」の由来などをご紹介します。
そもそも「玉の輿」とは?
「玉の輿」という言葉を使う時「玉の輿に乗る」という表現で使われますが、そもそも「玉の輿」とはなんでしょうか?
「乗る」というからには「乗り物」であることはなんとなく想像できますが、調べてみるとこんなことがわかりました。
そもそも「玉の輿」の「玉」とは、三代将軍徳川家光に見初められた八百屋の娘「お玉」という女性の名前です。
輿(こし)とは、人を乗せて運ぶ乗り物です。形を想像するのに身近なところでは、お祭りなどで担ぐ「お神輿」ですね。
輿の種類はいくつかあるようですが、この辺は「刀剣ワールド」というサイトの記事が参考になります。→ 乗物の基礎知識「輿」
乗り物といっても現代のように車輪ではなく、人が担いで歩くので乗り心地はかなり悪そうです。
まとめてみると「玉の輿」とは、
江戸の三代将軍徳川家光に見初められた、八百屋という身分の低い家に生まれた「お玉」が、由緒があり格式も高かった本庄家という家に養女として出され、そこから江戸まで輿(こし)に乗って嫁いだことから、玉が乗った輿を「玉の輿」と呼ばれるようになった。
ということになります。(Wikipediaより)
それが転じて、「女が婚姻によって手に入れる立派な身分」(goo国語辞典より)を意味するようになりました。
「玉の輿」という言葉は、江戸時代に作られた言葉だったんですね。
「玉の輿の日」のきっかけとなったのはある女性の結婚
江戸時代に作られた言「玉の輿」の語源については上記の通りですが、「玉の輿の日」という記念日のきっかけになったのは、ある女性の結婚でした。
それが当時、京都の祇園の芸妓だった「お雪」という女性でした。
本名は「加藤ユキ」、芸妓名は「雪香」といいます。その後、洗礼を受けていて、洗礼名はテレジアといいます。
明治38年(1905年)年の1月20日、京都祇園の芸妓だった「お雪」が、モルガン商会創始者J.P. モルガンの甥っ子であるジョージ・モルガンという男性と結婚しました。
J.P. モルガンといえばモルガン商会の創始者で、大資産家です。その甥っ子もまた大資産家になわけですが、そんなセレブに見初められたのが京都の芸妓さんだったというわけです。
これがきっかけとなって1月20日は「玉の輿の日」といわれるようになりました。
「玉の輿の日」のきかっけとなった「お雪」さんのその後
大富豪のハートを射止めた京都の芸妓、「お雪」さんのその後の人生は波乱に満ちたものでした。
結婚から10年目、ジョージ・モルガンが心臓発作のため44歳の若さでこの世を去ります。
34歳の若さで未亡人となってしまったお雪さんは、翌年、陸軍士官の新恋人とフランスのマルセイユに移り住みます。結婚はしませんでしたが、15年後、その恋人をまたもや心臓発作で亡くします。
その後、遺産相続をめぐるモルガン家との裁判やアメリカ国籍のはく奪、日本に戻ってからも軍政下での財産没収など過酷な運命にさらされながら、71歳でキリスト教の洗礼を受け81歳でこの世を去っています。
当時「日本のシンデレラ」と呼ばれた女性の人生は決して絵本のように「いつまでも幸せに暮らしました」とはいかなかったようです。
現代の「玉の輿」に乗った日本人女性
お玉さんやお雪さん以外にも、現代の玉の輿に乗った女性たちもいます。
ただし、現代の玉の輿女性は、一人ひとりがすでに自立していて第一線で活躍していることが特徴です。世界的なセレブに見初められる女性はなにか光るものがある、ということですね。
①オノ・ヨーコ
オノ・ヨーコといえばあのビートルズのジョンレノンと結婚した女性として有名。
当時、前衛芸術家として活躍していたオノヨーコさんと、世界的なミュージシャンとして活躍していたビートルズのジョンレノンが惹かれあい、結婚となりました。
実はオノ・ヨーコさんは2番目の妻で、出会った頃はまだ前の奥さんと結婚していたため
周囲からは強い反発があったそうですが、その後のビートルズの音楽活動に影響をあたえたと言われています。
②後藤久美子
かつては国民的美少女としてアイドル、女優として活躍していましたが、結婚したお相手は世界的なF1レーサーのジャンアレジ。
結婚後しばらくは芸能界の表舞台に上がることはありませんでしたが、子育てにひと段落したのか、近年ではモデル業やCMなどで日本のテレビで見かけることも増えてきました。
ちなみに1999年の生まれた長男のジュリア―ノ・アレジもまたカーレーサーです。
まとめ
今日は、1月20日の「玉の輿の日」について調べてみました。
「玉の輿」という言葉ができたのは江戸初期、徳川家光の時代でした。
徳川家光に見初められたお玉はその後、5代将軍将軍徳川綱吉の生母となり晩年は「桂昌院」として権力を握り78歳まで生きました。
そして「玉の輿の日」は明治4年、アメリカの大富豪と京都の芸妓だった「お雪」が結婚したことがきっかけでした。
晩年まで権力を握ったお玉と違い、お雪さんは波乱万丈な人生を送り晩年はクリスチャンとなって81歳で生涯を閉じました。
「玉の輿の乗る」とは、まるで人生の成功のように聞こえるかもしれませんが、良いことばかりではなさそうです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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